大学院で起業 月収70万あったのに就職した経営者の話

2017/01/06
globy13

上村隆晃(うえむらたかあき)
1982年、福岡県生まれ。山口大学大学院技術経営研究科卒業後、グローバル人材採用支援、教育関係のベンチャー企業に入社。米国ロサンゼルス・隔週フリーペーパー「Lighthouse」への転勤を経て、2012年来越。「個室旬彩炙り あん」他3店舗の飲食店経営の傍ら、ベトナム日系No.1コミュニティサイトを運営する「ポステ」CEOを務める。

根拠はないけど、将来海外に行くものだと思っていた

――海外に興味を持たれたのはいつですか?
福岡で生まれ育って、根拠はないですけど幼心に都会に憧れがあって。また、母親に「貴方は世界に羽ばたきなさい」と言われて育ったので、自分は将来海外に行くものだと思っていました。

――では、初めて海外に行かれたのはいつですか?
大学4年生の時です。海外に行く方法も分からなかったし、お金も無かったけど、取り敢えず行きたい!と思って、ハワイへの短期留学に応募しました。初めて外国人と触れ合って思ったのは、今でも鮮明に覚えているんですけど、勉強も遊びもめちゃくちゃするなってこと。あとは、外国人って強いとか頭が良いとかイメージで決めつけていたけど、実際に話してみて、同じ人間なんだなってこと。海外に行って良かったのは、そこに気づけたことだと思っています。

人生の、3つの大きな転機

1.人は環境で変わる
――1つ目の転機について教えてください。
大学院への進学です。大学卒業後、就職したい会社がなくて、まだ遊びたかったのもあるのですが(笑)、院に進むことにしました。でも、学部の院に進めなくて、たまたまその年に新設された大学院の技術経営研究科(Management of Technology,MOT)に面接を受けに行ったら、基本的には社会人が対象のところ、運良く入れて頂きました。他の学生は皆さん僕より年上の会社員の方ばかりで、とても偉い方々なのに凄く熱心に勉強されていたんです。予習して発言して復習もして。そういう人達に囲まれて、必然的に背筋が伸びました。

2.人との出会いで人生が変わる瞬間
――2つ目の転機はいかがですか。
ある日、テレビを見ていたら、アメリカで経営者をされている込山さんという方が出演されていたんです。単身渡米して、紆余曲折あったけど一代で成功を収めた方で、家族と幸せそうに映っているのを見て、「ああ、将来こうなりたいな。よし、会いに行こう」と思って。会うまで帰らないと決めて、アポイントメント無しでアメリカに飛びました。
込山さんの会社に電話をしたら秘書らしき人が出て、どうしても込山さんに会いたいっていうことを伝えたら、「その思いをメールでください」と言われたんです。メールで送って欲しいと言われても、当時はノートパソコンもスマートフォンも普及していない時代。どうやってメールをしようか考えて、語学学校なら日本人が居るだろうからパソコンを借りれば良いと思いつきました。お願いしてみたらOKを頂けて、無事メールを送って、込山さんともお会いすることが出来ました。これが、2つ目の転機。人との出会いで自分の人生が変わる瞬間って確かにあって、僕の場合は彼だった。彼にとっては僕みたいな学生に時間を割くことにメリットもないのに、本当に真摯に対応して頂いて。僕もしっかりしないといけないと思って、社会に目を向けるようになりました。

3.会社経営
――では、3つ目の転機は。
会社経営をやったことです。帰国後、何かしなきゃという衝動に駆られて、大学発ベンチャーで、教科書を先生に作って頂いて売るという出版会社の運営を行いました。僕が創業した訳ではないのですが、ちょうど前任者が辞任されるということで、込山さんが出版事業をされていた影響もあって、後継者として名乗り出ました。そこで、会社というものを経験しました。自分一人で営業も先生への執筆のお願いも印刷会社とのやり取りもするし、バーコードを取るだとか決算を組むだとか全てをやりました。昼間は働いて、夕方と土日は授業に出る。そんな大学院生活を送っていました。

キャリアの選択――就職活動と独立

――大学院生にして経営者を務めた上村さんですが、卒業後は就職をされていますね。
実は、当時既に月収70万円くらいあったのですが、限られたマーケットのビジネスですし、やっぱり東京、ひいては世界に行きたいという思いがあって、就職活動をしました。そのときの軸が、人材×海外。会社の発展を考えると伸びていく業界が良いと思いました。出版業に関わってきたけれど紙媒体は衰退していくだろうと思ったので、じゃあ出版物の読者はたくさん居て、人に対する問題はあるだろうと考え、人材業界を志望しました。

――企業選びで他に注目していた点はありますか。
規模が大き過ぎる会社には興味がありませんでした。人より早く高い給料を貰って良い役職に就きたいと思っていて。当時、ベンチャー企業ブームだったのもあると思います。早く偉くなろうと思っても、大企業だと部長になれるのが50歳過ぎ。それって長いなぁと。社員数340人の人材会社で、新たに100人採用するという企業に内定を頂いて、この規模感ならプレゼンスを発揮できるかなと思って就職するつもりでした。

――「つもり」ということは、その企業には入社しなかったのですか。
内定式の一週間前にお断りしました(苦笑)。込山さんのブログを見ていたら日本にいらっしゃると書いてあったので、近況報告も兼ねてお会いしたのですが、「日本に会社を作ろうと思っている。上村君も一緒にやろう」って言われたんです。内定先と同じ人材系で、国を越えて個人のキャリアを応援する会社で。そんなつもりでお会いした訳では無かったのですが、取り敢えず時間をくださいと言いました。また、内定辞退を伝えに向かったのですが、本気で就職活動していたのもあって内定先の人事の方にはとても良くして頂いていました。その年の内定者代表だったにも関わらず、しかも内定式の一週間前に内定辞退した僕を「行って来い、いつでも戻って来い」と送り出してくださったことは、とてもありがたかったと思っています。

――入社から独立までの経緯を教えてください。
念願の東京勤務が始まった後、3年半法人営業に携わって、それからグループ内転勤でロサンゼルスに渡って1年3ヶ月働き、独立しました。本当はアメリカで独立するはずだったんです。ビジネスモデルも決まっていて、資金援助してくれる人も居て。ある日、東南アジアが良いよっていう話を聞いて、旅行に行ったんです。ベトナムにも1週間居たんですが、活気があるし人は若いし、フィーリングで、ここなら何でもできそうだっていう美しき誤解をして今に至ります(笑)。
現在は、飲食店経営の傍ら、在越邦人向けのコミュニティサイトの運営を行っています。

――最後に、学生へのメッセージをお願いします。
とにかく行動してください。考えるだけじゃ、何も生み出さない。走りながら、やりながら考えて、やってみてダメなら修正すれば良い。僕はそれを体感している。込山さんと出会えたこともそう、動けば何かが生まれるんです。思ったことを実行に移せることが大事だと思います。


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